はじめに
高名な数学者たちの言葉をつぶやくTwitter上のbot「数学の歩みbot(@Auf_Jugendtraum)」の中から個人的に心に留めておきたいものを集めてみました.たまに「素数の歌はとんからりbot(@On_Absolute)」からも引用しています.個人的な覚書のような目的で書いていますが,本記事がみなさまが数学をやる上での糧ともなれば幸いです.
全体を通してみてみると伊原康隆先生*1の言葉が多いように思います.その内容は伊原先生の有名な指南書である『志学数学』*2にある内容とかぶっているものも見受けられます.
『志学数学』では「学習と研究の両輪を回していくことが大事」ということが強調されていましたのでここでの分類もそれに沿ってやってみました(分類に対する異論はあるかもしれません).
数学の学習について
その時々の目標に向って集中する事は大切で,特に短期目標を自分で立て必死にやる事が重要である点は受験時代とそう変わらないかもしれません.それは謂わば階段を作る様なものでしょう.しかしそれは常に光の差し込みやすいよう作って下さい.新しい光を体験する機会を逃さないで下さい.(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年9月22日
数学の勉強は,有利になりそうな「技術」を取得して出世する為のものではない.そう思って嫌なものに堪えようとするより,好みの数学の中で「自分」をとり戻し,更に…と思ってやる方がよいと思う.マイペースが大切である.(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年9月18日
二年間で三冊くらいでも十分ですから,大きな理論の創始者が書いた原典をしっかり読むこと.数学の理論の深い美しさがわかり文化とその創造者への尊敬の念が生じます.優れた若い学生,研究者の中でも,原典でしっかり大きな理論を勉強して自分の血肉とした人は一段と希少価値があります.(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年9月3日
強い印象を受けたことは,自然に頭の中に,生命をもったまま,残るものです.感情のように….憶えよう,と思うよりも,もっとよい,くっきりとした理解を求める方向で努力してみて下さい.(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年8月13日
時には本を伏せ,白紙と鉛筆をとり,主な事がどのくらい頭に入っているか書いてみて下さい.一応書けたら,まずはよしよし.この辺で少し散歩でもしてはどうでしょうか.歩きながら勉強した部分の面白い所を友人に説明するつもりで思い出し順序立てて見て下さい.こういうことが大切です.(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年8月13日
(数学の)本を一冊よく読んで,その内容が十分身に付いたら,必ずその後で,それに関係のある問題を一つ自分で見つけて,考えてみるようにしなさい.自分で“自分の問題”を見出すことは,数学者として大切なことです.(彌永昌吉)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年8月12日
ある領域を学ぶとき,現代の新しい論文を読むことと,最初に書かれた論文(=原典),特に数学の達人の論文を勉強することを同時に行うべきだ.(ピーター・サルナック)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年8月12日
本に出ていることをそのまま憶えるのではなく,自分に合ったように白紙の状態から再構成することが大切です.また,自分で例を作って,今何をしているのかをはっきり認識することも大切です.(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月22日
本格的な書物を読む時は,数値的目標は設けず寄道したり出発点に戻ったり,自分と道とが一体になるくらい遊びまくるのがよいのです.目標は貴方の中に数学を育てる事ですから「読む」のは「考える材料と刺激を得る為」と考え大切に,特に初めはゆっくり,貴方の中によい芽を育てましょう.(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月22日
私の観点からは数学のイロハの第一として言いたいのは,数学者になるのは数学を学ぶことによってではなく,数学をやりながらであるということである.したがって肝心なのは,知識ではなく,成し遂げる腕前が重要となる....(アラン・コンヌ) pic.twitter.com/3zpWj3fKIW
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月22日
数学に限らず,どんな学問,学科にも,文字通り万人向きの勉強法などある筈はなく,前述のように研究者の個性が深く関わっている数学の場合,特にそうであろうと思います.幾何学に王道なしと言いますが,結局各人が努力して自分の道(方法)を見出すより仕方がないのではないでしょうか.(岩澤健吉)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月21日
「自分は一ヶ月に一冊読んでいる」などという先輩や仲間に惑わされないように.本質的なところを感じとれない人の方が,すぐ数値的な評価をしたがる.数学者になる,ということは,より深い価値がわかる人をめざす,ということでもあると思います.(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年10月8日
勉強して行く上に一つ注意.勉強が進むにつれて何度か質的な飛躍がありますから,この調子で読んで行くと後何年経ってどの位と考えるのは無意味です.また初め読んだとき良くわからなかった事も,他の事をやっている間に自然にわかって来ることが多いのですから,必要以上に拘らないように.(谷山豊)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月22日
学生の頃,加藤さんとよく散歩や山歩きをしながら数学のセミナーをしたとき,私が定理の証明だけで終わらそうとすると,必ず何か自分で考えたことを話なさいと厳しく叱られたものです.なるほど,自分で問題や予想を作るよう意識してやることが数学をより楽しくさせるのだと実感しました.(斎藤秀司)
— 素数の歌はとんからりbot (@On_Absolute) 2021年6月22日
数学の研究について
一般化・抽象化の大風呂敷では少数精鋭になるが,具体的なものの計算や発見は案外傍系から出て,しかもそこから新しい将来性のあるアイデアの芽生えが出てくる.全体の感じがそうなっているし,そういう意味でこれからの代数幾何学は,しばらくは群雄割拠の面白さが展開されるといえよう.(広中平祐)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年10月19日
オイラー,ガウス,リーマン,佐藤幹夫に繋がる伝統がコンツェビッチの数学に見られます.膨大な計算の結果に裏打ちされた理論を創るので,論理思考で得られる定理とはまったく違った,一体どうやってこんなことができたんだろう,という不思議さを漂わせている.(村瀬元彦)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年10月7日
直感的考察に依存した推論は結局行き詰まる.それを打開するには,迂遠には見えても地道に基礎付の作業をし足元を固めねばならない.かくして,嘗ての直感力が飛躍的に向上するようになる.(飯高茂) pic.twitter.com/qRKbUKw1hd
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年10月1日
数学では新しい定理を発明したとはいわないで発見したといいますが,それは新しい定理を発見した多くの数学者が,私と同じように,数学的現象の世界を這い回っているうちにたまたまそこに落ちていた定理を見付けた,と感じるからであろうと思います.(小平邦彦)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年9月24日
重要なことは自分に合った方法で強力にやることです.その窮極のところでどんな思いつきが得られるかはわかりません,むしろそのとんでもない思いつきが最も大切な発展なのかもしれませんからね.(谷山豊)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月11日
若いとき,少しのことしか知らないから何も出来ない,と思ってはいけません.多くのことを勉強し,多くのことを知り,すべてのことが見通しよく眺められるようになったとき,もうその人には新しいことをしようとする情熱も,時間もなくなっているのです.(和田秀男)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年9月1日
整数論には「フェルマーの問題」のように具体的だが人工的な問題が(小石のように)沢山ある一方,はるかに抽象的ではあるが自然な対象も(森,山,雲のように)沢山あります.小石を調べるには岩,山を調べなくてはならないでしょう.(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年8月9日
新しい視点に気付き,新しい果実を引出すこと,それは一見易しい様で実は大変難しいとよく言われることだが,他人とは異なる視点で物を視続けることに対する種々の心理的圧迫感に屈せずに進む為には,それを身近な易しいことと感じ自分にも出来る筈だという自信は大いなる力となるだろう.(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月26日
心の中に数学的自然を作る.それが出来て,それを観察する理性の眼が備われば,もう研究は出来ます.(岡潔)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月18日
若い人たちを見ていて1つ心配なのは,「独創的なことをしよう」という意欲があまりない,少し欠けている人が多いような気がするんですね.(加藤和也) pic.twitter.com/pjYWGbgLlf
— 素数の歌はとんからりbot (@On_Absolute) 2021年7月17日
大学院の修士課程では,学習から研究に移り変わるのだから,やはり,強力な指導が一般には望まれてよいのであろう.指導教官から出来るだけ滋養分を摂取して行く.この事がなされなく,急激に論文にまとめると,数学が矮小化してしまうかもしれない.(飯高茂) pic.twitter.com/KQ5f4hoIUW
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月17日
若い皆さん,どうか自分のアイディアを信じて突き進んで下さい.失敗したら,起き上がり,再び突き進むこと,それが若者の特権ではないでしょうか!頑張って下さい.(森下昌紀)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月11日
クロレラならずとも,優秀なものが次の世代に残るのは,数学でもその通り,ガロアを見給へ,リーマンを見給へ,そして彼等の当時に栄えていた下らない数学を見給へ,更に眼を転じて,現在栄えている下らない数学を見給へ,そこで君は忽念 大悟 するであろう,喝!(谷山豊)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月10日
数学は必ず発見の前に一度行き詰まるのです.行き詰まるから発見するのです.西洋人は自我が努力しなければ知力は働かないと思っているが,数学上の発見はそうではない.行き詰まって,意識的努力なんかできなくなってから開けるのです.(岡潔)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月5日
「定理はそれを最も一般化したときに証明される」という言葉がありますが,Beilinson 予想,Bloch-加藤予想は,Birch-Swinnerton-Dyer 予想を一般化しようという努力の結果生まれました.(斎藤毅)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月22日
とにかくも,自分のアイデアを持って始めるように.Gaussはそうだった.君達もGaussの様に自分のアイデアを持って始めなさい.そうすれば間もなく君達は,自分がGaussでは無いことを発見するだろうが,それでも良い.とにかくGaussの様にやりなさい.(アンドレ・ヴェイユ) pic.twitter.com/Y9VNUfuKfk
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月11日
性格の遠いものが関係するところに,深みのある数学が生まれるように感ずる.(加藤和也)
— 素数の歌はとんからりbot (@On_Absolute) 2021年6月18日
どちらにも当てはまり得る話
情熱の最初の炎をつくるには
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年9月4日
まずは小枝も役立つが
次々小枝を投げ込めば
やがてくすぶり消えてゆく
これらを十分生かすには
生命の炎をつくるには
冷静な数々の知恵こそが
時には役立つのではなかろうか
...
(伊原康隆 / 志学数学)pic.twitter.com/SENo12VPNh
朝起きた時に,今日も一日数学をやるぞと思ってるようでは,とてもものにならない.数学を考えながら,いつのまにか眠り,朝,目が覚めたときは既に数学の世界に入っていなければならない.どの位,数学に浸っているかが,勝負の分かれ目だ.数学は自分の命を削ってやるようなものなのだ.(佐藤幹夫)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年8月25日
我々も彼等のように ── ガウスのように ── 始めから「自分自身のもの」から「自分自身」を構成しようではないか.及ばずともその方が,彼等の本や論文を詳しく読み,指導を受け,彼等のように考えるよう勤めるよりも,ずっと彼等 ── 谷山・志村 ── を理解することになるのである.(久賀道郎)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年8月23日
人間が数学的な何かについて考えたり学んだりすると,心の中に“心的領域”とでもいうべきものが出現する.心の中に流入した新しい心的領域は記憶されていた古い心的領域と相互作用して変貌を遂げるのだが,心的領域の結合は内容的な類似性によって進められる.(ベルンハルト・リーマン)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年8月6日
今回のコングレスで特に印象深かったのは, “新しい,より単純明快な視点を求める” ということが,数学にとって如何に強力な武器であるかを再認識させられたことであった.それは一見,如何にもやすやすと重要な進歩をもたらす!(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月26日
数学に限らず実績をあげた人を眺めてみると,だいたい自分の世界というか小宇宙みたいなものを持っている.そこでまず,自分の世界をつくるべし.大学院を出て,そこから始めなければならないと思いました.(肥田晴三)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月22日
数学的対象は固有の流れをもつわけですから,その自然な流れを見出し,それに身を委ねることができれば,問題の解決に近付けるはずです.そのためにも,数学的対象が発する声,つまり対象に固有な流れを聞きとることが大切です.(河澄響矢) pic.twitter.com/z2DaZmqw6y
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月18日
「わからない」事は,無論,どの段階でも,誰でも,あるものです.そのとき感情的に「自分の頭が悪いから」と思う癖をつけない方がいいでしょう.どこがわからないか分析して書いてみる,そして必要なだけ何度も元に戻ることです.(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月20日
これから数学を勉強したい人にひとことというなら,やっぱり自分で考えることが大事だということですね.例えば数学者を目指しているといっても,難しい本を先走って読むのではなくて,自分で考えることがいつでも大事かと....(加藤和也) pic.twitter.com/VyPLXv22g2
— 素数の歌はとんからりbot (@On_Absolute) 2021年7月12日
数学は,実に,教外別伝なのである(不立文字とは言はないが).してみると,正規のコースにのつかつて教育メニューが提供されるに任せるばかりではなく,よい師匠が見つかればどんどん弟子入りしたらよいのである.(田口雄一郎)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年11月7日
次のことに注意したい.即ち,整数論に於いては,その対象は多面的,多義的で,又その方法も多様である.そのどれか一つに固執することは,一時的には有益なことも多いが,結局は危険であると.(谷山豊)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年10月7日
もしetale cohomologyの定義を見て「なんて美しいんだらう」と惚れ込んでしまふ人がゐたら,その人はH_et(X,F)の存在を疑わないであらう.かういふ対し方は芸術作品に対する対し方と同じである.ちよつと気取つて,存在とは対象への愛である,とも言えよう.(田口雄一郎) pic.twitter.com/Y8OmQysAeE
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年8月13日
さて,将来の数学をやるためにも,我々は多くの根を必要としている.... 我々がより多くの根をもつことが出来るように,願わくば「歩み」が今後もそのための仲介とならんことを.(織田孝幸) pic.twitter.com/O3zTDSvUtd
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月6日
グロタンディークなどが展開している数学の世界というものは,一つの全体としてのユニバースであって,個々のもの,例えば,数とは何か,函数とは何か,あるいは空間とは何か,それら一つ一つが個別に定義されているのではないのです.全体との関連において相互が意味を持っているのです.(佐藤幹夫)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年11月7日
殿堂入り
誤りを恐れることと,真理を恐れることとはまったく同じひとつのことなのです.間違うことを恐れる人は,発見する力を持ちえません.(アレクサンドル・グロタンディーク)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年10月2日
僕の考えでは,人々はあまりにも自分の人間としての弱みを数学上の活動に反映させすぎるのだ.すぐ思い浮かぶ例をあげるならば,ある種の対象の分類という思想は蒐集家の本能の化身であり,最大値の追及は強慾の一つの現れ,計算可能性/決定可能性は完全な支配の希求というわけだ.(コンツェビッチ)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月20日
額縁に入れて飾っておきたいレベルです.
その他(個人的趣味)
日記をつける事,特に研究ノートを日記風に毎日整理してつけるのは,刺激の多い世の中で自分の世界の継続性を保持するのに力になる.整理した事だけその日の最後に書こうとしても仲々長続きしないから,むしろほとんどすべてその上でやる位でよいと思っている.(伊原康隆)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年10月7日
明るい陽ざしの中では数学者は,方程式なり証明なりの検証に余念がなく,厳密性を求めて,全ての石をひっくり返して調べる.しかし,夜の満月ともなれば,彼等は夢を見る.星々の間を彷徨い,天空の奇蹟に感嘆する....(マイケル・アティヤ) pic.twitter.com/RqG0inl05q
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年10月7日
数多の計算を結合する足場まで跳躍すること,操作たちをグループ化すること,そして形によってではなく難しさによって分類すること.これらこそ,私の意見では,未来の幾何学者たちの仕事なのだ.(エヴァリスト・ガロア /『Deux mémoires de l’Analyse pure』序文)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年8月7日
振り返ってみると,数学を始めた理由はこれといってないのです.大学院に入って数学とは本当におもしろいものだということに気付いた.とにかくおもしろい.自分で問題を考えて,自分で進めていくというのが非常におもしろい.それまでの私の人生に,そういうことはなかったのです.(肥田晴三)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月21日
数学的実体と云うものが存在し得るとすれば,それは抽象的な概念でなく又具体的に存在するものでもない.具体的な多くの異なったものが一つの抽象的な概念の下に統一され,多くの抽象的な概念が一つの具体的なものの中で関連する.此の二重の関係がその本質を究明する鍵ではないでしょうか.(谷山豊)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月10日
河田先生は確かに書くということに非常な執念を持っておられたように思う.書くということを深く考えれば,色々その功罪をあげることは出来るであろう.しかし数学を正しく伝えようと思えば,結局一つの論文を書く以外に方法はないのである....(佐竹一郎) pic.twitter.com/QWBXGN1Gou
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2022年1月4日
久賀先生には母親のように,志村先生は父親のように私に接してくださいました.本郷の数学科に進んで四年生のセミナーも志村,久賀両先生に見ていただきました.初めのテキストは,ヴェイユの『アーベル積分の一般化』でした....(伊原康隆) pic.twitter.com/aQnghSnr8Z
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年11月3日
私は,実在あるいはその反映としての認識の一番深いところに,普遍的に存在する記号的な何かがあり,これが数学的な本地だと感じています.この記号的な何かに数学的形式を与えたものが「代数的構造」といえます.(佐藤幹夫) pic.twitter.com/jqlBPaDVnV
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年9月13日
正体が分からぬ物でも,間接的な方法によって,それの持つ随分深い性質迄探り当てる事ができるものだ.「類体論」を読み終わつて後,僕はこう思って驚き,又感心した.全くすごいものだ!(伊原康隆 (当時学部4年生) /『類体論を初めて勉強して』)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年8月15日
思うに河田先生は古きよき時代の数学教室の残照を伝えておられた先生であったのだと思う.先生を思い出す時,最早戻り得ない数学教室のある時代を思い出す.(斎藤恭司) pic.twitter.com/nve5OlRAHK
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年8月2日
数学との出会いの素晴らしさは,何度出会ってもその魅力が薄れないことである.私自身をとってみれば,現在は若いとき以上に,より一層情熱的だともいえる.それは夕焼けにも似ている.次の瞬間には光を失い色あせるかも知れない.しかし,思いは一層赤々としている.(竹内外史)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年7月17日
グロタンディークなどが展開している数学の世界というものは,一つの全体としてのユニバースであって,個々のもの,例えば,数とは何か,函数とは何か,あるいは空間とは何か,それら一つ一つが個別に定義されているのではないのです.全体との関連において相互が意味を持っているのです.(佐藤幹夫)
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年11月7日
「良い性質をもった対象=いろいろな数学が絡み合う所」というわけで,だからこそ整数論は面白いのだと思います.「整数論をやろうという人は,整数論そのものの他に,代数幾何,表現論,トポロジー,解析の,少なくとも1つに強くなくてはいけない」という,これは伊原康隆先生の御言葉です.
— 数学の歩みbot (@Auf_Jugendtraum) 2021年10月24日